独裁国家から共和国へ

引っ越し翌日の夕食のお話です。
片づけに始まり片づけに終わる一日、夕食はとにかく簡単なものと思ってしゃぶしゃぶに。
しゃぶしゃぶしたお肉をお皿に持って、ポン酢と胡麻だれで。これと母の作った煮物。

母は超簡単料理に興味津々。簡単で美味しいと高評価。よしよし。
「ご飯だよ」といってもなかなか現れない父。機密書類を整理する任務に邁進しているから仕方がないので食べ始めると、だいぶたってから現れました。
そこで一言、「なんだこれは」。食べ慣れないものは酷評して手を付けないのがいつものことなのだけど、やっぱりそうでした。
冷蔵庫のカツオの佃煮かなんかをご飯のともに、「こういうのが一番うまいんだ」とかなんか言って食べていました。

リフォーム後のキッチンは、対面式でなく壁に向かってキッチンカウンターがあり、振り向くと作業台があり、スツールに座って作業したり食事したりもできるスタイルにしました。
キッチンスツール
ここで母が叔母や私や姉などとしゃべりながら食事の準備や片付けができるように。

リフォーム前は、実家に帰っても洗い物をするのは極力やりたくなかったけれど、きれいになったら俄然やる気になるものです。
母としゃべりながら食事の片付け。こういう時間、楽しいものです。で、どんな話をしたかというと、、、。

サマンサ:小学校5年生くらいの時、家庭科の調理実習で初めて白身魚のムニエルを作って、家でも早速夕食のおかずで作ったら、お父さんに「なんだこれは」と言われて食べてもらえなかった。子供心に「娘が初めて作った料理をけなして食べないなんて、なんて親なんだろうか!」と思ったことを、今日思い出したよ。

それを聞いた母は、意外にも全然動揺せずで、笑みを浮かべながらこんな話をしてくれました。
母:私がこの家にお嫁に来てすぐのころ、高校の時に家庭科の調理実習でつくった酢豚をつくったら、お父さんは「なんだこれは」と言って手を付けなかった。だからそれ以来、私は酢豚を二度と作っていない。(確かに!)

これを聞いて、完全に「負けた」と思いました(笑)。私、結構可愛そうだと思ってたけど、母のほうが数段上でした。
昭和30年代はこんなのが普通だったのかもしれません。その時の母の気持ちを想うとざざざーっと切なくなりました。
よくぞ耐えたね、お母さん。耐えたおかげで私がいます(笑)。


リフォーム前は、居間に常にテレビをつけて父がいました。自分が座っていて手の届く場所に必要なものをすべて確保すべく小引き出しのたくさんついた家具を置き、狭い居間をさらに狭くして陣取っていました。ちょっとでも引き出しのものを借りようと手をのばそうものなら「なんだ!」と怒鳴られました。自分のことしか考えてないんじゃないかとしか思えないことがよくありました。考えてみれば、居間は父の部屋だったんです。私も家を出てからはたまに帰るだけだから文句をいう筋合いではないけれど、たまに帰って居場所がないのはハッピーではありませんでした。そう、我が家は、独裁国家だったんです!

でも、民衆は立ち上がりました!頑張って丸ごと一階をリセットして、新たな住処を作りました。共和国が生まれたのです!!

って分かりにくい話になっちゃいましたが、リフォーム後、居間は父がずっといる場所でなく、家族の場所になりました。これはそうなったらいいなと淡い期待は抱いていましたが、ほとんど想定外のことでした。父は、テレビを見たり新聞を読んだり寝たりの、やりたいことだけして過ごす快適な自分の部屋ができて、居間を独占することはなくなりました。このやりたいことだけして面倒なことは母に押し付ける姿勢がこの後大きな展開を引き起こすのですが、それはまた次の機会に。

翻って考えてみれば、快適な部屋がなかったから居間を独占していたのかもしれません。

それはとにかく、今まで考えられなかった静寂が、居間にあります。感動です。
リフォームの力、計り知れぬ!(笑)
共和国、ばんざい!!

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サマンサ@インテリアクラブ

Author:サマンサ@インテリアクラブ
全国津々浦々飛び回っているインテリアコーディネーターのサマンサです。

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