停電と最後のお願い

実は、引っ越しの二日後の夜から台風の影響で停電でした。
翌朝早く起きてまだ復旧していなかったので、とりあえずコンビニへ。充電器と食料を確保。これで一安心。私がいる時でほんとよかった!
でも、あんなに長く停電が続くとは。電気が復旧したのがもう暗くなりかけた午後5時でした。この間、橋の上でトラックが風で横転したり、信号がついていないために事故が起ったりで、道路も渋滞。帰るつもりが足止めに。

停電が復旧してからの住設機器の設定なんかで混乱するだろうなと、停電が復旧するまで居残ることにして、家の片づけなんかをして過ごしました。引っ越し前後で思っていたより随分長く滞在することになりましたが、結果的に必要な時間でした。『引っ越ししてとりあえずのものが収まれば後はおいおいで』程度に考えていましたが、アラ80の両親を新しい生活のレールに乗せてあげるって期間が抜けていました。新しい暮らしには、新しい設備が備わっており、それは極力最新でないもの、操作が簡単なものを選んでいますがそれでも両親にとってはピッカピカの最先端なわけで。

例えば、玄関ドア。ソフトクローズ機能がついてます。軽い力で開け閉めできて高齢者に便利ですが、そんな動きをするもの、前の家ではなかったですからねぇ。強い力で閉めようとするのもよくないのでと業者さんに教わって、これをしつこく説明しました。それから鍵。今までシャッターとアルミサッシだったわけで、鍵のある玄関ドア自体、なかったんですから。インターホンももちろんニューカマー。謎の生物を見るような目でインターホンのモニターを見ながら説明を聞く母。私自身、実家の生活では、近所の家に「おばさーん」とがばっと玄関を開けて入れた方がしっくりきます。インターホン越しに会話してから玄関ドアを開けるっての、田舎にはしっくりこない感はありますね。

キッチンはガスレンジ、換気扇、浄水器付き水栓とハードル高そうでしたが、使用頻度も高いので、問題なくクリアできました。実家の場合、よかったのはIHでなく使い慣れたガスコンロにしたこと、それからこのコンロも二口の一番操作が簡単で表示のわかりやすいものにしたこと。日本語で字が大きいってありがたい!
ちなみにリンナイのセイフルという商品です。
https://rinnai.jp/products/kitchen/gas_conro/gc_safull/safull_point
仕様はダウングレードですが、汎用品の標準設備からイレギュラーなものにかわるのでコストは上がりました。それでも違和感なく初日から使えたので大正解だったと思います。停電でも水とガスは問題がなかったので、まだ慣れないこの時期の停電という事態に比較的ストレスなく過ごせたのもよかったです。

鍋をのせないと火がつかない、点火消火、火力の強弱が教えられなくても見ただけでわかります。
隠れたボタンの中にもう少し複雑な操作も実はあるのですが、一切ここを開けなくても普通の使い方はできるので、ほんとにシンプルです。何も教えていない父も、自分で味噌汁をあたためていました。

一番の難関は、ガス給湯リモコン。お風呂の操作。
アパートのお風呂が簡易な音声お知らせ機能があったので、準備体操ができていた感じではあったのですが、苦手意識が邪魔をしているようで。シャワーを手元で止められるボタンは高齢者に便利だろうと採用しましたが、自分が使ってみて「あれ?シャワーが出ない!」って一瞬焦ったのでつけないほうがよかったかなと思いきや、問題なく使っているようでした。

さて、停電の最中は、寝ているか、起きてくれば「静岡県はなにをやっているんだ!」「まだ復旧しないのか!」と、文句しか言わない父に辟易。新しい時代が来たかと喜んだのもつかの間、共和国に陰りが、、、。
 通所リハビリの日だったので送迎車が来るはずが、トラック横転で道路が大渋滞となり結局本日お休みとなったのですが、まわりでどんなことがおこっているのかわからず休みになったことに文句を言い、耳の遠い父に何度もトラックが横転したと説明してやっと通じると今度はトラックに対して文句を言い、何も悪くない母は停電のせいで(というか停電でなくてもですが)言われてもどうしようもない文句を言われ、「新聞はまだ来ないのか!」(注釈:取ってこいという意)と母に言いたいことを言い、時間が経つにつれ最悪の気分でした。

そんな夕暮れ時、突然ついた部屋の明かり。もう一日滞在かと思っていたときについた明かり。嬉しかった!そして思いました、「帰ろう!」。

リセットされた住設の設定のチェックをして、帰り支度。
帰ると聞いて一気に不安そうな顔になった母に躊躇いましたが、もう父の言動に耐えられなった!
そして、今までの思いが爆発しました。

母は元気ですが、不整脈があり無理をさせたくないという思いがあります。父は膝が悪く、ゆっくりしか歩けません。立ったり座ったりも相当大変なんだろうと思っていましたが、引っ越してきてからの様子を見ると、私が思っていたほどでは実はないのだなと感じていました。これはほんとは嬉しいことですが、自分が自発的にすることはなんなくこなして、面倒なことは母を使って文句だけ言うという、そういうことか!とわかってしまったら、帰り際に自然に『刀』を抜いていました。

「お父さんが年を取ってからだを動かすのがしんどいのはわかるけど、お母さんも今年80だよ。心臓も悪い。自分だけが年取っているわけじゃないよ。私も悪いけどずっとはいられない。お母さんはお父さんの召使じゃない。お父さんが汚したトイレの掃除をお母さんにさせるようなことはしないでほしい。座れるんだから座ってしてほしい。一生懸命お父さんとお母さんが住みやすい家になるように頑張ったけど、「ありがとう」の一言も言われなかった。風呂にも入ってもらえなかった。汚い実家がつらかった。やっと帰りたくなる実家ができたと思って嬉しかったけど、そうではなかった。掴みかけたけど手の先から離れて行ってしまった。」最後は選挙戦の最終日の候補者のような、涙涙のお願いとなりました。いろんな思いを涙と共に吐き出して、怒りとむなしさと悲しさとでやっと点いた明かりが目に染みる夕暮れでした。

父は最初は笑っていました。必死で話しているのに笑っていることに、涙がでました。事の重大さにやっと気づいて、「トイレは座ってする。そのほうが運動になるからな。」と言いました。そんなことより、母を大切にしてほしい。それからやっぱり父のために悩んで考えてやっと完成した家に対して、一言でいいから「よかった」とか「ありがとう」とか「快適になった」とか、言ってほしかったという思いが私の中であったんだろうな。

両親が緊張感半端なく見送るパンチのかなり効いた出発となりましたが、道中、母から電話できいたと叔母からラインがありました。叔母の優しい言葉に涙が止まりませんでした。こういう時は、ハーゲンダッツ!頑張った自分へのご褒美。ハーゲンダッツと共に久々に帰った我が家は一歩入っただけで優しく包まれるようなあたたかさがありました。やっぱり家っていいなぁ、救われます。

さて、最後の涙の訴えがどの程度効いているか、これで効果がなければもう術はないなと思いながら、もう少し私にいてほしかっただろう母を心配する日々。姉に一部始終をラインで伝え、「その気持ちわかるよ。私も泣けてくるよ。」と言ってもらえて同じ環境をわかっている姉がいてよかった!

リフォームって工事が終わって引っ越ししたら終わりじゃないんですね。実家リフォームブログ、なかなか終わりません(笑)!





独裁国家から共和国へ

引っ越し翌日の夕食のお話です。
片づけに始まり片づけに終わる一日、夕食はとにかく簡単なものと思ってしゃぶしゃぶに。
しゃぶしゃぶしたお肉をお皿に持って、ポン酢と胡麻だれで。これと母の作った煮物。

母は超簡単料理に興味津々。簡単で美味しいと高評価。よしよし。
「ご飯だよ」といってもなかなか現れない父。機密書類を整理する任務に邁進しているから仕方がないので食べ始めると、だいぶたってから現れました。
そこで一言、「なんだこれは」。食べ慣れないものは酷評して手を付けないのがいつものことなのだけど、やっぱりそうでした。
冷蔵庫のカツオの佃煮かなんかをご飯のともに、「こういうのが一番うまいんだ」とかなんか言って食べていました。

リフォーム後のキッチンは、対面式でなく壁に向かってキッチンカウンターがあり、振り向くと作業台があり、スツールに座って作業したり食事したりもできるスタイルにしました。
キッチンスツール
ここで母が叔母や私や姉などとしゃべりながら食事の準備や片付けができるように。

リフォーム前は、実家に帰っても洗い物をするのは極力やりたくなかったけれど、きれいになったら俄然やる気になるものです。
母としゃべりながら食事の片付け。こういう時間、楽しいものです。で、どんな話をしたかというと、、、。

サマンサ:小学校5年生くらいの時、家庭科の調理実習で初めて白身魚のムニエルを作って、家でも早速夕食のおかずで作ったら、お父さんに「なんだこれは」と言われて食べてもらえなかった。子供心に「娘が初めて作った料理をけなして食べないなんて、なんて親なんだろうか!」と思ったことを、今日思い出したよ。

それを聞いた母は、意外にも全然動揺せずで、笑みを浮かべながらこんな話をしてくれました。
母:私がこの家にお嫁に来てすぐのころ、高校の時に家庭科の調理実習でつくった酢豚をつくったら、お父さんは「なんだこれは」と言って手を付けなかった。だからそれ以来、私は酢豚を二度と作っていない。(確かに!)

これを聞いて、完全に「負けた」と思いました(笑)。私、結構可愛そうだと思ってたけど、母のほうが数段上でした。
昭和30年代はこんなのが普通だったのかもしれません。その時の母の気持ちを想うとざざざーっと切なくなりました。
よくぞ耐えたね、お母さん。耐えたおかげで私がいます(笑)。


リフォーム前は、居間に常にテレビをつけて父がいました。自分が座っていて手の届く場所に必要なものをすべて確保すべく小引き出しのたくさんついた家具を置き、狭い居間をさらに狭くして陣取っていました。ちょっとでも引き出しのものを借りようと手をのばそうものなら「なんだ!」と怒鳴られました。自分のことしか考えてないんじゃないかとしか思えないことがよくありました。考えてみれば、居間は父の部屋だったんです。私も家を出てからはたまに帰るだけだから文句をいう筋合いではないけれど、たまに帰って居場所がないのはハッピーではありませんでした。そう、我が家は、独裁国家だったんです!

でも、民衆は立ち上がりました!頑張って丸ごと一階をリセットして、新たな住処を作りました。共和国が生まれたのです!!

って分かりにくい話になっちゃいましたが、リフォーム後、居間は父がずっといる場所でなく、家族の場所になりました。これはそうなったらいいなと淡い期待は抱いていましたが、ほとんど想定外のことでした。父は、テレビを見たり新聞を読んだり寝たりの、やりたいことだけして過ごす快適な自分の部屋ができて、居間を独占することはなくなりました。このやりたいことだけして面倒なことは母に押し付ける姿勢がこの後大きな展開を引き起こすのですが、それはまた次の機会に。

翻って考えてみれば、快適な部屋がなかったから居間を独占していたのかもしれません。

それはとにかく、今まで考えられなかった静寂が、居間にあります。感動です。
リフォームの力、計り知れぬ!(笑)
共和国、ばんざい!!

さらば仮住まい 快適な風呂へ入ろう!

仮住まいのアパートからの引っ越しの、最後の仕事がレンタル介護機器の返却でした。
手すりのない玄関とトイレに、置き式の手すりをレンタルしていました。
アパートの手摺2
アパートの手摺1

ベースの部分に重さがかなりあり、置くだけで身体を預けられる手すりができる優れもの。「こんなものがあるんだ!」とこの時初めて知りました。壁に付ける以外にも方法はあるのかと。半面、狭いスペースがさらに狭くなるというマイナス点もありました。手すりと同じくらい余裕ある空間って大事だなとも実感しました。

返却もアパートまで業者の方が取りに来てくださいます。きれいに拭いてお返ししました。
これで、何もない状態になりました。
この状態を5か月前に見て、これは家より快適だと思ったことを思い出しました。その後、父が風呂に入らなかったり、猛暑だったり、狭さだったり、諸々あって仮住まいに住んでいない私にとっても大変だったしつらかった。また何もない状態になって、叔母が掃除してくれてすっかりきれいになって、仮住まいのつらかったイメージもいつの間にかなくなっていました。感謝の思いとともに戸締りの確認をして、部屋を後にしました。

 さて、リフォーム後のお風呂、前と比べてというか、比べものにならないくらい快適になりました。
まずは全景を。限られたスペースでできるだけ広いものに。
全景風呂

風呂椅子は、アパートのお風呂対策で購入したもの。結局アパートでは出番なく、狭いユニットバスをより狭くしているだけでしたが、晴れて日の目を浴びました。背もあってクッション性もあり滑らずで、これは快適です。ワンプッシュでたためてたたんだ状態でも自立します。水切れもいいです。私は絶賛使っていましたが、父がいつ使うのかは不明です(笑)。

ユニットバス自体について。サポートパックという三面に横手すりが付くものを付けました。この手すりの感じ、わざとらしくなくて気に入っています。それから入り口を2連引き戸に、照明器具をダウンライトでなくブラケット照明とし2ヶ所に、それから風呂蓋の一部がベンチになるものを採用しました。
風呂ふた
ベンチ風呂ふた

明るさはこれが最大限の選択でした。間接照明風にダウンライトという選択肢もくつろぎのバスタイムにはよさそうですが、私の実家には、実際明るくてとてもよかったです。ダウンライトからブラケットへの変更はダウングレードだったと思いますが、こういう選択も今回度々ありました。
風呂照明

値段よりも使いやすさを優先しようと開き直って仕様を見直して、結果的に、金額はアップしましたが正解だったと思います。そんなことよりも、お風呂に入りながら当初は「お風呂はそのままで」と考えていたことを思い出して、ぞっとしました。やってよかった!!

ちなみに脱衣室の床材は、コルクタイルです。冬でもヒヤッとしません。小さなスペースなので、価格よりも高齢者に優しいものにしました。高齢者に優しいものは、私にも優しいのです。っていうより、私が一番うれしいのだろうな。脱衣室には着替え用の椅子とタオルや下着類、洗剤のストックなどを入れる家具を置く予定です。脱衣室もお風呂も、一般的なサイズより狭いのですが、以前より広くなりました。実際に自分が入ってみて、スペースに余裕があるからストレスがない、快適です。

さて、父が安全に入ることができるお風呂にすべく、仕様を上げて完成しましたが、いまだ、「チチ、フロハイル!」の知らせはありません(笑)。まぁ、どうぞご自由にという心境です。



返ってきたお仏壇

リフォーム後の引っ越し、搬入の最後を飾ったのが仏壇でした。

仏壇無事帰る

5月13日に引き取りにくてださって、それから4か月以上補修と掃除、保管をしてくださった静岡の吉蔵さん。本当にありがとうございました。例えが悪いけれど、私がきれいにしようと奮闘した冷蔵庫とは全く違って、一目見て、「こんなにきれいになったんですか!!!?」という仕上がり。「新品みたい!」と言ったら、「塗り直しても小さな傷はどうしても残っています」と申し訳なさそうな吉蔵さん。素人目には、それすらもわからない、美しい逸品となって帰ってきました。

そもそも、考えてみたら、明るいところでじっくりと見る事なんてなかったから、今回帰ってきて、「へーこんな風になっていたんだ!」という発見ばかりでした。「閉まらなかった扉も閉まるように調整しました。」と言われても、そもそも閉まらないことを知らなかった!(閉めることがなかったので)
扉も透かし彫りで美術品のよう。
仏壇扉

「中にはここにも引き出しがありましたよ。」
「安全のため、燈明は新しいものに替えました。電球はLEDにしましたよ。」
もう、至れり尽くせり。

リフォームすることにならなかったら、工事中に仏壇をメンテナンスに出すというアイデアをクララから聞いていなければ、家の仏壇のことを知ることもなく、年月を経たものだからこんなものだろうと乾拭きするくらいだったのだろうと思います。ご先祖様、喜んでいるだろうなぁ。何より、なんだろう、この清々しさは。やはり特別なものなんですね。

仏壇の中に納めていたものは、片付けの際に姉が丁寧に布にくるんで段ボールに入れてくれていました。段ボールにマジックで『仏殿』と書いてありました。一年に一度日本に帰ってくる姉の日本語は少々コミカルな時があり、約半年前に仕掛けてくれたネタを見つけて一人ニヤリ。そんなことはいいとして(笑)、中のものを仏壇にお戻しする作業には、真打登場。「俺が一番知っているんだ」と父が。
仏壇と父
任せた結果、入らないものが残っていました。
行事のしつらいは父は一度もやったことがないそうで、要するにどこに何をしまったらよいかなんてことは考えず、ただ全部突っ込んでいただけで、結局母がやり直していました。

この前のブログにいただいた「娘に負けてたまるかというプライド。お元気でいいことですね」という拍手コメントを読んで、父の行動について、ああそうかそういうことかと気付かされました。
今回も、ご先祖様、特に自分の母親を大切に思う気持ちと、家の主としての並々ならぬプライドなんだと理解しました。

仏壇が入った部屋は、迫力満点!
神棚のお社が3つもあったり、だるまさんが飾ってあったりで、かつての家らしさが無事戻りました。

安堵と吹き荒れる嵐

朝食準備母

引っ越し翌日、起きたら母がキッチンで朝食の準備をしていました。
戸惑う感じなく、いたって普通だったのでホッとしました。

その後は昨日のドタバタがうそのように静かな時が流れ、各自それぞれの持ち場の片付けに励んだ一日でした。
片づけをする母

しかしなんだろう、この違和感のなさは。
まぁ、ずっと完成形を頭に置いて半年以上過ごした私が違和感がないのは不思議でないとしても、両親の対応力に驚きます。リフォームし終わったら「ここはどこ??」ってなことにならないだろうかとずいぶんリフォームすべきかどうか悩んだことが何だったんだろうと思うくらいに。人はよい方にかわることには順応しやすいということなのか、母は「前の間取り、もう忘れちゃった」とも。確かに!もうこの間取りにだいぶ前から暮らしているような気がします。

さて、リフォーム後の父の反応について、書きたいと思います。
かつて多分父が若いころの家で使っていた水屋箪笥があったことがまず嬉しかったようです。「これはいいものだから使えばいいんだ」というようなことが第一声。嬉しそうにゆっくりゆっくり歩きまわっていました。時々手すりでなく壁に触ると母に「壁じゃなくて手すりをもって」と注意されながら。
それから、せっかくきれいなトイレになったのだから、「お父さんにも座ってもらおう」という声が全員からあがり、何度も自分でシミュレーションして手すりを使えば『あり』じゃないかという手ごたえもあり、意を決してトイレを案内しながら、小の時もこうやって座ってみてほしいと手すりを使って座って見せました。「はいどうぞ。やってみて。」としつこく促し、何とか座ってみてもらったのですが、あれ?意外にすっと座っちゃったよ!?「そしたらこの手すりをもって、頭を上じゃなくて前に動かすように立ってみて」と言ったか言わないかってタイミングで、スッと立っちゃった。膝が痛い時に座るのってしんどいことは分かるので言うのが心苦しいけれどーという思いが、はたまた座高の高い便器を探したりもしたことが、一瞬の「へっ?」という心の声とともに風に吹かれて飛んでいきました~。ふぅ~~~。実際に実行されるされないは不明ながら、分かったというリアクションに淡い期待。(そしてほどなく打ち砕かれる)

トイレは父の寝室からも直接入れるように2ウェイになっていること、お風呂は手すりが付いて広くなったこと、寝室の掃き出し窓からは段差がかなりあるから今のところ出入りは玄関からということを伝え、「自分の部屋は自分で荷ほどきをして」と、父の部屋は本人に委ねたところ、段ボールの中身をチェックしながら捨てるor捨てないの作業が始まりました。機密書類を厳重にチェックするという極めて重要な仕事をしているかのようなふるまいに、これって膨大な時間があったのに「荷造りするときにいらないものは捨てたら?」と言ってもきかず、なんで持ってきて今やってるのかなぁ~といういきさつがあるので、外野は全員冷ややか。

まぁ、そんなことにかまっている暇もなく、廃棄するはずが伝達ミスで搬入されていたハンガーパイプをせっせと外に運び出したり慌ただしく片付けに追われ、ようやく目途がついたというころに父の部屋に行って目にしたハンガーパイプ。さっき外に出したはずの。
父の部屋にはハンガーパイプを造作していてなるべく物を置かないでスペースを確保して安全に過ごせるようにと思っていたところに『帰ってきたハンガーパイプ』。そもそもこれを父以外が外から運び入れたはずがなく、かなりの段差の掃き出し窓からひょいひょいと外に出て、重さはないけど持ちにくいキャスター付きの2連のハンガーパイプをえっこらさと運び入れたのかと思ったら、、、もう、いろんなことホントにいろんなこと父のことを考えて(押しつけなのかもしれませんが)やってきたことが、いやぁー、さっきのトイレの風なんてもんじゃなく、強風波浪警報が出ちゃうくらいのモーレツな風、雨、今すぐ避難して下さい的な台風並みの怒りのエネルギーが爆発!!

そんなことはお構いなしに、テレビを自分で持ち上げて台にしていた家具ををかえるという想定外の力業もこなし、自分の部屋を意外にも自分流にちゃんと仕上げていました。なんなの~??

いえ、よかったんです。なんとか仮住まいの猛暑を耐えてリフォームが終わって帰ってくるまで元気でいてくれるよう心配する日々だったので、ほんと、よかったんです。

でも、せっかく2ウェイにしたトイレのドアの前に物を置いたり、どうにかその荷物を他に動かすよう言って動線を確保したにも関わらずわざわざ廊下側からトイレに行くってどういうことなのか。
それから結局アパート時代と同様にお風呂に入らないというのはどういうことなのか。

少しは感謝してくれるかと思った私が甘かった。感謝どころか考えもしなかった事態に直面です(苦笑)。

やり終えた達成感の陰で吹き荒れる嵐。心に吹き荒れる嵐なのでした。





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サマンサ@インテリアクラブ

Author:サマンサ@インテリアクラブ
全国津々浦々飛び回っているインテリアコーディネーターのサマンサです。

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